生きている落書き

日記を書こう、と思ってメモ帳を開くと全てを許されたような気持ちになる。どうしてかは知らないけれど、何となく文字を打ち込んでいる時だけが生きている感覚がするからなのかもしれない。


私はあまり話すのが得意ではない。言語化の能力がかなり稚拙で、人から投げてもらった会話に対して上手く返すことが出来ない。落ち着いて書けば多少なりとも出来るけど、実際に人と話すと一気に全てが出来なくなる。人と話している時の私は私であって私ではないという考えが拭えず、いつも誰かとたくさん話した後は自己嫌悪が止まなくて辛くなってしまう。


だから別になにか書きたいことがあった訳でもないのに、苦しくて悲しいからこうして日記を書いている。私は今も生きていた。


今日も悲しくて、どうにかなってしまいそうだった。私が要らなくなったって言われたみたいだった。そんなこと一言も言われていないのに。望んでいたはずのことだったのに、いざ形に、言葉に、してみたら想像していたのと違くて大きな化け物となってしまった感情だけが手のひらからこぼれていってしまった。ずっと後悔している。あの時死んでしまえばよかったとずっとずっと後悔している。でも、ああこの為に生きていたんだなと思いたくてほんの少しの希望を手にしてみたくてまだ生きていてしまう。何もかもが諦められないのに、全てを諦めてしまう。


最近は人の言葉を借りて生きている。分からないことを言語化してくれる人を求めてTwitterをしている。でも結局、その人は私ではない。私は一体何処にいるんだろう。


まだ何か書きたい気がする。海の話でもしようと思ったけど、しばらく海には行けない。

海にいる時の、1人なのに1人じゃない感覚が好き。学校の放課後に似てる。みんなが自分にしか興味がなくて、それぞれその場所での時間を大切にしているあの感じ。高校に戻りたいかと言われたらそんなことないけど、あの時きっと私は幸せだった。そんなこと、過ごしていた時は思わなかったのに。深海から水面を眺めて光を見ているような気持ち。水面にいた時は、暑くて眩しくて鬱陶しいとしか思わなかった陽光が、深海からは果てしなくキラキラして温かくて恋しく思えてしまう。手に入れられないほどまで沈んだところで、私はようやくその価値に気づいた。でも残念ながらもう私は水面で呼吸が出来なくなっていた。雨が降らないと、ろくに上にもあがれない。

どうしてみんなが幸せそうに見えるか考えていた。きっと、私じゃないから羨ましいんだと思った。私じゃない人間は、私じゃないから幸せだろうと思っている。他人から見た私もそうなんだろうか?そんなこと無い気がするけど。

支えなきゃって思ってた。でも私なんて要らなかった。要らないことの方が多い。私は自分を高く評価しすぎていた。この子は私がいないと駄目だし、私もそうだと思ってた。実際は全くそんなこと無かったのに。誰かを必要としていたのは私だけだった癖に。


お化けの映画を見た。呪われて1人ずつ消えていくやつ。みんな誰かに愛されて、その愛から消えた子を探しにきた人がまた呪いに巻き込まれていた。愛されていなければきっと誰も死ななかった。愛は呪いだ。だってみんな死んだ。だから私は幸せだ。誰にも愛されていないから死ぬ事がない。そう思うのに、その人たちの方が幸せそうに見えた。死んでいるのに。誰かに思われて、怖いのに探して貰えて。

私はきっとひとり寂しく死ぬんだ。誰も呪いに巻き込まず。それって本当は良い事なはずなのに、どうしてこんなに。


どうやっても埋まらない差があって、それは誰が悪い訳でもなくてただその人が凄かったというだけのこと。

要るって言って。嘘。全部嘘。要らないって言って。の繰り返しでなんとか生きている。


誰か私を私の代わりに大切にして。それだけが、私の願い。こうして書いてる理由なんだよ。

今日はもう眠る。右手が痛くてまるで代わりに泣いてくれているみたい。良かったね。