絶望と希望のアイスクリーム

高校1年生の頃から仲の良かったフォロワーさんに、Twitterをブロックされた。一度その人は2年前にアカウントを消していて、ずっとLINEだけ繋がっている状態だったけれど、昨年もう一度繋がった。

またTwitterでたくさん話せるんだ!と思ったら嬉しくて、アカウントを教えてくれたその日は中々眠りにつけ無かったことを覚えている。


昨日も違う意味で眠りにつけなかった。

私の何が悪かったのか、何が気に入らなかったのか。

考えても答えは出なくて、浅ましい逆恨みばっかりが募っていった。

本当に、どうしてブロックされたのか分からないぐらい尽くしていたし好きだったし大切だった。きっと向こうはそうでもなかったのかもしれない。私に嫌なところがずっとあったのかもしれない。そんなことを考えていたらまた悲しくなっての繰り返しで、ずっと涙が止まらなかった。


「所詮ネット」という言葉は良くも悪くも左右する。

例えば誹謗中傷や謂れの無い言葉をかけられたとしたら、所詮ネットなのだから気にしなくてもいいという言葉はプラスに働く。

けど、所詮ネットなのだから対人間であっても粗末に扱っていいという様な風潮があるのも事実で、マイナス面が強い。

その両方を上手く使えないのなら、私はネットなんで辞めるべきなのかもしれない。


色々話してあったフォロワーさんにブロックされたことを報告したら、アイスのチケットをLINEギフトで送ってくれた。

こういうこともあるから、私はTwitterをやめられない。

気遣いが嬉しいはずなのにずっと胸が苦しくて、私はまた子供みたいに泣いた。


アイスクリームはすぐにお店へ引き換えに行った。

お店のものは久しぶりに食べる。

せっかくだからと思い切って大きいサイズで、ダブルを選んだ。いつもは悩んでひとつに決める種類も、今日は2つだ。

口に入れたアイスクリームはすぐに溶けた。チョコレートの甘い味がする。

この苦しい記憶も、今いる優しいフォロワーさんたちも、「間違えてブロックのボタン押しちゃった、ごめんね」というDMがくる夢を見たことも、全部全部アイスクリームみたいにいつか溶けてなくなるのだろうか。冷たい余韻と頭痛だけを残して、綺麗さっぱり消えてしまうのだろうか。

そうなればいいと思う気持ちと、それだけは嫌だと思う気持ちがぐるぐる混ざりあっている。これから一体どうするべきなのだろう。


食べ終わると、溶けた2種類のアイスクリームが底の方で混ざって汚い色になっていた。あーあ、と思いながら、私はそれをゴミ箱に捨てた。