3月4日

卒業旅行の写真をよく見かけるようになった。それを見て春が近づいていると感じる。春は怖い。けれど、夏も怖い。秋なんて殆ど無いし、冬は嫌い。我儘の四季が回る。始まりも終わりも怖い春。一生無為でいたい。

 

部屋にいると死ななければならないと思うけれど、えいと思って外に出てみると幸せそうに散歩している犬と飼い主や、小さな子供と遊ぶ父親、帰宅途中の賑やかな学生がいて、な〜んだと思う。私は自分の生活に密接に向き合い過ぎている節がある気がする。本当はもっと軽くていい。柔らかな葉が揺れるような日々を送ることを自分で許してあげてもいい。多分。

 

日記が書けなくて、これも1週間ほどかけてちまちまと書いている。思考が上手くまとまらない。風邪をひいているからなのか、花粉のせいなのか。よく分からない。

先日友達が家に来てくれたが、この回らない頭で会話をしたと思うと酷く恐ろしく感じた。余計なことを言っていないことを願う。

 

猫や、恋人や、優しい家族など密接な関係にある人がいるのに死にたい人のことを、さては贅沢者では?と思っていたけれど、私もそっち側になってしまったことが悲しかった。死にたさは消えない。だって、当の本人である私が居なくなっていないから。贅沢者という要らない泊がついただけで、私は何も変わっていない。難しくて、寂しい。苦しい。

時折、ふわりと現世から足を離してしまいそうになるのを猫のご飯やトイレや遊びの時間に使って誤魔化している。地に足をつけることは中々難しい。他者のために生きることも難しい。これらはやはり申し訳ないけど、傲慢だ。私はまた私が許せなくなってしまった。

 

雨が降っていると落ち着く。理由に外に出なくていい口実が出来るからだというのに、私は傘を差して散歩に行く。とんだ矛盾である。でも、誰も歩いていない道を歩くのは嬉しい。世界が一人であれば、私は自分を傷つけることによって自分を守らなくてもいい、可哀想な振りをしなくてもいいと、そう思える。

 

 

はやく楽になりたい。海を見て暮らしたい。日記に書きたいことなんてない。文章が上手く書けない。