疲れた

 

三年越しに遊びに行く予定だった子をドタキャンしてしまった。体が動かない、目眩、嘔吐、腹痛etc。泣きながら文章を打ったけど、彼女には伝わらない。伝わら無くていい。ただただ申し訳なかった。こういう時、どうやって謝ったらいいのか分からない。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。行けない可能性が五分五分の今の自分では遊びの約束なんて、本当はしない方がいいのだろうとずっと思ってるけど、もしかしたらふっと死ぬかも?と思うと会える時に会いたいと思ってしまう。我儘。私の我儘に付き合わせるのを辞めるべきかもしれない。ごめんなさい。

 

毎日毎日、自分を傷つけるのを何とか必死に抑えている。体が商売なこともあるし、何より治らないといけないからだ。正確には治った振りを、しないといけないから。傷を見られて心配なんてもっての外で、人に迷惑をかけられない。ずっと良くなった振りをしながら、誰もいなくなった麗らかなはずの午後にひたすら泣いている。誰かに助けて欲しいと思いながらも、誰にも触れて欲しくないという矛盾をずっと抱えている。そのせいで、私が忘れてしまえば過去はまっさらだ。その方がいいとは思うけど、時折過去の私になんにもないことを思い出しては寂しくて悲しくなる。

私はいつまで鬱なのだろう。実は元気なんじゃないだろうか。甘えているだけで、働けるんじゃないだろうかとぐるぐる悩んでは自殺企図と動かない体に悩まされている。

けれど、いい事もあって最近昼食が概ね毎日食べられるようになった。あめがいるから、必然と餌をあげるために起きなくてはいけなくて、どうにか這い上がると意外と食事が取れる。先生も「いいですね」と言って褒めてくれていた。食事は大事らしい。

今は実家で暮らさせて貰っている。ご飯も用意してもらっている。ただ、この暮らしがいつまで続くだろうかと思う。母は気が変わるのが早く、今は私を可哀想だと言ってくれるが、いつ邪魔者に変化するかが怖い。寛解した時、あの時こうしてあげたのに!と言われるのが怖い。症状を馬鹿にされるのが怖い。昔、苦しい時に手紙を書いて母に渡した時「こっちの方が死にたいわ」と冷たくあしらわれ、笑われた声が忘れられない。大きな恩と足を引っ張る恨みで頭がおかしくなりそうな時がある。誰も信用出来ない。今は何も切迫することなどないのに不安と焦燥感があるが、誰にも相談できない。

 

死にたい。マンションに侵入出来ればと試すのが辞められない。首紐は無いから最近はしていない。ごめんなさい。皆が早く死ねばいいのにとは言わずとも、いつまで病んでるんだとか大袈裟だとか面倒臭いとか、私が居なくなれば解決するような心情を持っているような気がしてならない。ごめんなさい。私は、私を可哀想に見せている私が一番嫌い。死にたい。

 

これからどうするの?と聞かれる。私にアドバイスする人はみんな学校を出ている。母が、学校を出ていない人を馬鹿にしていた過去があるのを忘れていない。私はどうすれば、というより今どこにいるのだろう。社会の、どう言う立ち位置なのか。障害者?元気なのに?

午後に泣いてしまうので何か作業をとデイサービスの申し込みをした。来週まずは見学らしい。作業療法士の◯◯です。という自己紹介にどろどろと心臓が真っ黒に熔けた。私はなりたかったんだと思う、多分。大卒ももちろん欲しかったし、職を失わない資格も欲しかった。あの資格はどこに住んでも大丈夫な自由になれる資格だ。そして人を助けても良い資格だ。私はそれを放棄した、大馬鹿者だ。親不孝だ。これ以上、これ以上もう何かしでかす前に命を経ってしまいたい。大学は大変だったけど、通っている間は何かをしているという地に足が着いている感覚があって、それが私の唯一の柱だった。今は無い。立てない。

 

私が社会に出れる時一体何歳で、どんな立ち位置だろうと思う。先のことを考えているはずなのに、不安ばかりで終わってしまう。そうなると、死んでしまえば楽だなぁなんて甘えも出てくる。この先一生苦しむなら、小一時間苦しむ死の方がいい。そう思う。毎日、毎日、毎日。それに疲れてしまった。

 

稚拙な頭をかち割りたい。疲れたね。カーテンが揺れるのを見ているだけ