6月

誰に愛されたら、この空白が埋まるのだろうか。空白は存在を主張し続け、日に日に膨らんでいく。抑え込むのはとても痛く苦しいけれど、その為だけに、誰かの人生を棒に振る覚悟は私には無い。梅雨時のように、私の心は永遠に晴れ間を見せず、空が青色だということを知らない。

 

6月は舞台に通うためにバイトを週1回にしてもらっていた。あの見張られているような場所に行かなくていいと思うと気が楽になるような気もしたし、その1回だけの出勤が逆に重くなるような気もした。

シフトを作る人にしか言っていないはずなのに、私が週1回ということが周知されていて、村社会は怖いなと思った。はやくこんなところ辞めたい。恩返しをするはずが、日に日にバイト先のことが嫌いになる。働いているはずなのに未来の見えないことに不安になる。ここで働いている人達は一体どういう人なんだろうと思うが、深く関わりたくは無い。私はまた馴染めずに、どこへ行っても自分のせいで孤独だ。

 

久しぶりに友達の家に泊まらせてもらった。別行動をしていて、帰りが遅くなってしまい嫌な顔をされると思ったのに、全然そんな素振りすらなく、更にその後不機嫌になったりされず呆気にとられてしまった。家での行動が身に染みすぎていて知らなかった。普通の人は不機嫌を知らせるためにわざと大きい音を立てたり、ため息をついたり、過去の過ちを掘り返したりしないのだと。私は随分と狭い世界で生きていたのだと驚いた。それと同時に私の胸にぽっと小さく夢が生まれた。あめと2人だけで暮らす夢。誰にも私を害されない、鋭い冷たさのない暮らし。

叶うことはない、泡のような小さな夢。

 

7月の28日になれば、水族館の年パスの有効期限がくる。去年はもう絶対に死ぬと、その為の準備をずっと少しずつしてきたのに、今になって延長しようかという気になっている。いつも気持ちに激しい波があって、今すぐ死ぬともっとたくさん生きたいを行ったり来たりしている。この波が無くなった時、私は何を願うのか。知りたいようで知りたくない。今はまだ不安定な波に揺さぶられながら、その日限りの生活をしたい。

朝、夢から醒めた時の重苦しい絶望だけが、私に寄り添う鈍色の光だ。だけど、もうそんな光は要らない。息が止まって、ゆっくりと夜の暗闇に落ちていくのをずっと待っている。

5月

苦しみを人に伝えると、それは意図せずとも簡単に悪意に変わる。どう足掻いても傷つく道しかないのなら、結局、私たちは苦しみをひた隠して生きるしかないのだと思う。いつ爆発するかも分からないものを抱えて、それを危なくないように少しずつ解体しながら生きることはつらくて苦しい。感覚を麻痺させる薬を飲んでも、頭が悪くなるばかりで何も解決しない。いつ終わるのだろうと考えることにも慣れてしまった。そういう寂しさだけがいつも心を揺さぶっている。

 

今のバイトにも慣れてきて、任される事も増えてきた。新人ではなくなったことにより、私を邪険に扱う人も増えた。でも、元よりこの扱いが普通なのだろうと思う。挨拶は無視されるし、会話には入れて貰えない。働けてお金が貰えればよかったはずなのに、うっすらと漂う人間関係にがんじがらめになっている。出勤する度に、今日はどこの館にいって誰と一緒なのかと緊張するのは疲れるし馬鹿らしい。皆がそれとなく人に興味がなく仕事だけで繋がれる人だったらいいのにと思う。勿論、良い人も居るから私も悪い面だけを見ないようにしたい。でも、少しだけ、すこしだけ、辞めたいと思う。

 

気温が上がってきて、散歩をするのが暑くて苦しい。去年のこの時期は犬の介護に明け暮れていて、それに時間を割いていたからあまりこの季節を楽しめなかった。夏は嫌いだけど夏を感じさせる要素は好きだ。今年はバイトに時間を縛られてしまうけど、何かの機会に一度くらいゆっくり夏を堪能してみたい。具体的には、おばあちゃん家に泊まって毎日海を見に行きたい。うどんとアイスを食べて、花火をして、あめと草むらを見て。素敵な夢の大抵は、遠く、星のように煌めいて届きもしない私を笑っている。

 

日常の人間関係を少し考え直さなくてはいけないと思う。そこまで交友関係が広いわけではないから片付けは簡単だけど本当にそれでいいのか考えるのに時間を要する。皆付き合いが長い人ばかりで、だからこそ私を適当に扱ってもいいと思っていて、それが悲しい。大切にして欲しいとまでは思わないから、対等な位置に在りたい。でも、結局上下関係が多少あった方が人は上手くいく。私はいつも下。それで誰かが傷つかないのならと思うけど、じゃあ私に優しくしてくれるのって誰?と思う。約束は破られて、思い出は忘れられて。私は何の意味もない。同じ場所で立ち尽くしながら、先へと進んでいく友人たちをぼんやりと眺めている。誰も私を振り返ることはない。私は誰の思い出にもなれず、自分すら覚えていられず、こうして日記を書いている。はやくこんなことをしなくてもいいようになりたい。梅雨よりも早く、私の中に雨が降っている。ずっとずっと、私はひとりぼっちだ。

4月

文字を書く度に、生きることに固執している。

お金も文章も鬱を良くするものではなく、ただの生者の特権でしかない。それに縋るということはまだ自分は生きていたいのだと、騙しながら文字をなぞりお金の計算をする。そうしている時時折泣いてしまうのは、私がまだ死を諦めていない証拠であるように思う。撫でるように優しく、今日も私は自分を傷つけている。

 

ブログをはじめてから4年が経った。頭の悪い私が過去のことを記録して忘れないようにするための日記のはずが、なんだか最近は説法じみているのが嫌になる。人の過去の話を聞いて、自分も乗っかるようなマウンティングの嫌悪感に似ている。不幸に胡座を書いて耳障りのいいことを言って、心地よくなっているだけだ。そこに何の意味も利益もない。もう辞めてしまおうと思うのに、頭を埋め尽くす自分を納得させる言葉を、結局何らかの形で流してしまう。

 

4月は初めてバイトを休んでしまった。ずっと頑張っていたのにと思う罪悪感と休めて良かったという感情で滅茶苦茶になった。1日ベッドの中に潜って、唸るように泣いた。それからは堰を切ったように何度も休んでしまっている。レジだけでいいはずが、色々なことを詰め込まれたり、バイト先の人が陰口を言うのを見て、居場所がないと思う。いつまでも被害妄想が止まない。

 

珍しく母親と将来について話した。通信大学を卒業してみるのがいいんじゃないかとか、職種に執着する意味はないだとか。話している間はそれがとても素敵なことのように思えたけど、振り返って考えてみると私には恐ろしくハードルが高いことに気づいた。

張り出された賃貸のチラシを見ながら自由な暮らしに夢を見る。数々の白い紙は宝石のようにキラキラと光を反射して私を誘う。手を伸ばしても届かない、憧れの暮らしに頭を緩めながら私はその場を去る。私にはできっこないが消えてくれない。自分が自由になれない一番の理由は、私が私であるからなのかもしれない。

 

カメラのクロスフィルターを買った。これで光を綺麗に撮れると思うと嬉しい。久しぶりの良い買い物だった。まだ近所の写真しか撮れていないけど、いつか海に行きたい。ソフトクリームを食べて海沿いを散歩したりカメラを覗いたりしながら醜い自分が居ない時間を過ごしたい。人に依存せずに過ごしたい。幸せと不幸せの間のぬるま湯に浸かって過ごしたい。誰かの救いになるように過ごしたい。どれも地平線のように遠い、夢。

3月


春になるに連れて、私は少しずつ心が削られていく。自分が悪いのだけど、自分が出来なかったことをしている人が羨ましくて仕方なくなってしまうから。花見をする人たちは誰もが幸せそうで、桜が早く雨で散ってしまえばいいのになんて思う。私の加害性は分かりやすくて厄介だ。でも、思うだけなら自由にさせて欲しいと思う。

 

バイトでひとり立ちになってしばらく経った。買い物に来ないからどこがどこにあるかが分からなくて聞いてしまう度に罪悪感がある。働いていれば覚えられると信じるしか、今はできない。今できることを少しずつ増やしていくしかないのだと思う。

 

何かに固執した一ヶ月だった。それが何かと聞かれると難しいけど、多分人間関係ではあるのだろう。自分では制御できないところで、寂しくなってしまうことが最近多い。過去を振り返ってみたり、遊んで話をする中でああ……と思ったり。

殆どの人は属しているコミュニティ(家庭、友人、趣味)などがあるが、私はそのどこにも居られなくてただ流れるように未来を待っている。もしかしたら、それも寂しさの一部なのかもしれない。

昔は居場所について考えたことなんてなかったのに、最近はそればかりである。何かが変わった訳でもないけれど、だからこそ見る機会があり気づいてしまうのかもしれない。見たくないな、何も。

 

私は少女のようになりたかった。甘く儚く、優しく強く。まるで風のような。私はそれを何一つとして持っていない。時折、はるまきごはんさんの曲を聴いて泣いている。今からでも間に合うとは思えないけど、少女になる夢は諦めていない。いつか私が少女になれたら、誰かの記憶の中の人になって、私が消えても星のように思い出して欲しい。何も無い私の願い。叶いませんように。はやく死にたい

2月

ずっと他人のことがどうでも良くて、眠れなくなるほど気になっていた。好きな人のことはなんでも知りたいと思うのに、そこへ触れさせて貰えないのが嬉しくて、距離感のある人ばかり好きになった。嫌いな人のことをどうでもいいと思っているはずなのに、時折叫び出したくなるほど憎く心を奪われ長い間苦しめられた。

人間関係に関してずっと矛盾を抱えたまま生きてこられたのは、周りの人が優しかったのは勿論、ある程度の自分への諦念もあったように思う。私にはこんなもんか、という。けれど、私は諦念したままではいられないタチであり、この経験をバネにもっと良い関係が築けるはずだとも思っていた。冒頭の発言の誕生である。

 

他人になれたらいいのにと思う心へ追従するように、他人になったところで私は私でしかないのだと言う苦い諦めが襲う。私は私から逃げられない。いつまでも。掴めやしない魂とやらが死んで消えるまで。その事実に度々発狂しそうになる。心がどれだけバラバラになって、泣いて、泣いて、泣いても、私という存在はあり続ける。それはずっと全てから逃げ続けてきた私にとって、あまりにも恐ろしい事実だった。

 

誕生日だった。色んな人に祝って貰えたけれど、私は今月が終わる今に至ってもまだその言葉に返事をすることができていない。嬉しいと思う。それなのに、どうしても苦しいと思う。贅沢だ、そんなの。分かっているのにどれだけ返事を考えても明るく良い言葉が浮かんでこない。浮かんできても水泡のように水面へと消えるだけ。キラキラ光った水面を見つめながら、私は泡が弾けるのを待つしかできない。

 

バイトを始めた。なんとか上手くやれていると思う。同じ時期に入ってきた人が慌てているのを、冷笑するように陰口を言い、辞めた時は「辞めると思っていたのよ」というパートの人を見ながら怯えている。私はいつまでこの人たちの優しい顔を見ていられるだろうと思う。少しだけ、怖い。

 

何となく鬱々としていて、必死で眠ったり食べたりを繰り返している。雑記に「私は幸せになることを諦めたことはない」というようなことを書いたけど、だからといって幸せになれると思っているわけでもない。睡眠は日々の活動時間を奪うし、食べても結局太って自分のことを嫌いになるだけだ。一過性の幸せは負債と同じで、溜まった幸せのツケはいつか自分で払わなければならない。不幸せから抜け出せないのは、それが発生しないからだ。不幸せ以上の恐ろしいことが起こらないから、人は生ぬるい被害妄想から離れられずにいる。

 

父に似てきたと母に言われた。そんなことを言ったことすら覚えていないように、母は外へと出かけていく。いつもいつも、この家で苦しんでいるのは私だけだ。この家には光と暗さが明確化されて力を持っている。

最近TikTokでドラァグクイーンの方が日々の務めをコツコツと積み重ねて人間力をあげましょうという話をしていた。学力も芸術力も忍耐力も何も無い私だけど、もしこの日々のつらいことを乗り越えたら人間力だけは手にすることが出来るのだろうかと少し希望を持って、やりたくない事をやっている。ちょっとぐらいは、私も何かになりたいとかおもってもいい。だよね?

1月

昔から、強くて優しい女の子が出てくる話が好きだった。憧れていた。不遇な状況ながらも他者を思える強さに、考えが違くても寄り添えるその優しさに。なりたかったし、このまま将来ずっと人に優しくしていれば憧れに追いつけると思っていた。
でも、夢は夢で終わった。私はなれなかった。人に会う度に大きな不安に駆られ、道行く人に心で悪態をつき、いつまでも過去にされた行いを呪い続ける今の私を見たら、彼女らはなんというだろうか。

 

人の日記を読むのが好きで、たまに人生の欠片を覗かせてもらうのだけど、どれだけつらい状態においても私より人生の先が終わっている人を見つけられなくて勝手に落胆する。描かれる言葉は美しく、人生は刺々しい。過去に折り合いをつけるのも難しい。そんな人はいっぱいいる。でも働いている。社会的地位がある。恋人がいる。友達がいる。では、私は?そう思った時の真冬の夜みたいな空虚な気持ちが忘れられない。偉いことは人それぞれ違う。分かっているが、それは綺麗事で建前だ。だって私は十一月にバイトを五社落ちている。要らないのだ。社会のどこにも私のような人は。

 

ずっと死にたいと思っていた。死のうとしたこともあった。それでも今死んでいないのは、私が自分に甘いからだ。目先の楽しいことに引っ張られ、易々と人生を先延ばしにしてしまう意思の弱さに辟易する。本当は去年の九月で死んでいたはずだった。年は越さないはずだった、のに。あまつさえもうすぐ誕生日だ。嫌になる。誕生日を祝ってもらう度に、私は死ななければいけないのにと焦る。祝われるのなんて今だけだ。私はいずれ邪魔になる。過去の母を見ているとそう思う。豹変する時は絶対にくる。世界が私に刃を向ける。逃げ場所なんてない。

 

海になりたいと思う心が死んでしまった。頭の中でうまく海をイメージ出来ない。その変わり、光が頭に乱入してきた。汚い私を、肉親にすら汚女と呼ばれた私を包む優しい光。照らして、照らして照らして照らして、私の全てを白く染め上げる光。そうすれば、私は私を許せるのだと、生きていけるかもしれないと思う。

けれど、光は他人だ。私じゃない。他人はわざわざ私を照らさない。私が救われることはない。いつまでも、妄想は妄想のままで終わる。

 

救いなどなくて構わない。私を照らしてくれなくてもいい。死ぬのだから。

でも、どうかあなたが幸せになれますようにと祈る心が、優しさと強さの欠片であることを祈る。

12月

愛を正しいと思い込んでしまうのは、それが真っ白に見えるから。白ければ白いほど疑う余地がなく美しいとされる中で、私はそれを水色で満たす。青を差し色に使い、黒を垂らして。夜の波のように揺らぐ人生というキャンパスは、未だ誰にも見つけて貰えないまま悲しみを潜めて持っている。

 

今月は沢山の人に会った。そのどれもが楽しくて、どれもが怖かった。人と居る時の自分は、本当の私が一体何処にいるのか分からない宙ぶらりんの状態だ。でも、本当の自分を見つけたいと思っている訳じゃない。金魚の鰭を見る度に、自分を重ねる。あんなに、美しくはないけれど。

 

歳をとる事に、年末の特別感がなくなっていく。楽しかったことを冷笑するようになっていく。好きだった人を嫌いになるための理由を探すようになる。いつまで経っても先が描かれないキャンパスを見つめ続ける。変化は正しい。それを受け入れられないことも別に責めることじゃない。でも、いけないことだと思ってしまうのは私が弱いから。

 

誰にも触れられない私が好き。氷に覆われるように何もかもを閉ざしていれば、それが自分だけの声だと分かるから。教えて、聞かせて。本当はあの時どう思っていたのかを。鮮明に覚えていなくても構わないから。

 

許されたかった。ずっと、ずっと。謝っても謝っても謝っても許してもらえなくて、いつも私だけが悪くて。それなら死んでもいいんじゃないかって思った日から、私の贖罪の道は続いている。足の裏に刺さる棘が痛くても這いつくばって進んで、腕にも傷が出来ても進んで。こんな道、誰も助けに来てくれない。だから進むしかない。許して、許してください。痛い。

 

毎日祈りを重ねる人が、柔らかな陽の光のような人生を歩めますように。諦めてしまった私の分まで幸せになれますように。遠くの海を模したキャンパスで、白さを想う。