遺書

私の目標はずっと、ひとりで海際の家で猫を飼って幸せに暮らすことだった。

それなら誰にも迷惑はかけないし、私は私の全てを抱きしめて許して、海を青を見ながら愛する猫と幸せに生きていけるだろうと信じて疑わなかった。

今は、もうそれは叶わない願いなのだと諦めている。まず、私は自立ができていないのだから海側の家でなんて住めるはずがない。それに、自分の世話もまともに出来ないのに猫は飼えない。自分のことは、どこに居ようときっと永遠に許せない。

小さな、小さな絶望が私を食べ尽くす。穴だらけにしていく。痛くて、苦しい。寂しい。寒くて、ただひたすらに涙が出る。

 

母に「どうしていつもそうなの」と言われた。その後、私が鬱になってからずっと我慢していたことをたくさん、たくさん言われた。迷惑をかけている自覚はあった。甘えていた。許されていいはずがなかった。私が、母を苦しませていた。生まれて来なければとこれ程強く願ったことは無い。部屋に戻ってからただひたすらに泣いている。私がいなければ離婚調停は上手くいっただろうか。母は不倫なんてせず、自由に好きな人と付き合ったのだろうか。もう何もかもが分からない。

 

私の人生はなんなのだろう。努力は一体どこに行ったのだろう。姉が無茶苦茶なことをした時に母の相談を聞いた事、何度も救急車に付き添ったこと、母の顔色を伺って生活したこと、父と母の間を取り持ったこと、ご飯の間にいくら悪口を言われても耐えてきたこと、いじめや性被害も結局一人で乗り切ったこと。上げだしたらキリがないくらい、私はずっと正しくあるために我慢をしてきたつもりだった。でも、そんなことは全部どうでもよかったんだと分かった。虚しい。私は最初から居なければ良かったのだと、疑心が確信に変わった瞬間だった。

 

出来損ないで生まれてごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。綺麗になりたかった。愛を信じたかった。心を許して、人に相談とかしてみたかった。話してみたかった。私は、私は……結局生まれてくるのは「私」。その時点で自分のことしか考えていない。視野があまりにも狭い。最低だ。人のことを考えるふりをしながら、結局自分のことだけで、そんなもの。居なくなればいい。死んでしまえばいい。そうしたら、贖罪もこれからの苦労も全部消える。

 

だから私は死ぬ。死ぬためのことはする。許される為に。そしたら私は幸せになれる。我儘なら、最後の我儘も許されたい。海に遺骨をまいてもらったら、ようやく私は幸せになれるのかな。周りも、もう苦労しなくてよくなる。これで、これでいいんだ。きっと。私はそう信じている。生きてきた間ずっと愚かだった私の最後選択が、どうか正しいものでありますように