5月8日

好きな人や、親しい人がみんな最初から夢だったなら良かったのにと思う。それなら、眠ればいつでも会える。それがいつか覚めてしまうものだとしても会えなくなってしまうよりずっとずっと良い。また眠れさえすればいつでも会えるのだから。記憶の中に居るだけでは酷く寂しい。いつか忘れてしまうのではないかと、自分が恐ろしくなる。虚構だとしても話して、触れて、一生覚えていたい。

大人になる度に、会えなくなる人ばかりが増える。学校の惰性で会えていた時間が、今はやけに愛おしく感じる。移動教室の廊下ですれ違う時、彼女が私に気付かないまま友達と話しながら過ぎていくのを見送っていた。黒髪。真っ白い廊下と壁。夢? 好きな人々がどこにも逃げないから、学校の規定が好きだった。学校は夢の鳥籠だったのかもしれない。悪夢を見せられたのも学校だけど、仕方ないと思える。

 

 

先日海に行った時、やけに視線が気になった。カップルに思い切り指を差されたこともあった。私の格好か、はたまた服のまま海にばしゃばしゃと入っていくのがおかしかったのか。

なんだか、今年に入ってからやけに人が増えた気がする。昔はもっと、ゆったり釣りをする人や近しい人と散歩をしたり穏やかに海を眺めたりする人たちばかりで、それぞれが他人など関係ないような、でも海とは偉大でありそれらを通じあってその場の全ての人が知り合いであるかのような、そんな感じだったのに。純粋に母数も増しているが、変に人を見る人が増えた。BBQ場が増えたからだろうか?よく分からないけれど、彼らの人を見る瞳は恐ろしい。あんなに海が綺麗なのに、人に注目が行く思考が怖い、なんて。自分で言うのもおかしな話だ。

 

友達が今年から一人暮らしを始めた。その寮の近く、と言っても5キロほど歩くのだけど、川へ行ってみたら、暗くて何も見えないし草木が生い茂って川自体には入れなかった。友達が「私たち海に行きすぎたね」って笑うから、何だか切なくなってしまった。夏、憂鬱な時、LINE一本で小さな浜に歩いていけた過去が懐かしい。波に足を浸して、セミに怯えながら真っ暗な水道で足を洗う。水をたっぷり吸ってきゅうきゅうなるサンダルで駅まで歩きながら、帰りにアイスとうどんを食べたあの日から、私はずっと囚われている。過去に、夏に、苦しみに。

 

友達って難しい。どこまで踏み込んでいいのか、好きになっていいのか、身を委ねていいのか、信じていいのか分からない。所詮は他人だなんて、じゃあ夫婦はどうして支え合うだなんて言うの。恋人って崇高なの?分からないから、みんな嫌いでいいと思ってしまう。私のことを嫌ってしまえ、私も全員嫌いだ、と。でも、本当は、そんなことない、そんなことないんだよ。

 

全部夢で居て。お願いだから。

願う夜はいつも風が強くて、折れてしまいそうだ。