1月22日

夢のことを考える時、私はちょっぴり寂しくなる。私の頭が生み出してくれた緻密な映像が一晩程度で消費されてしまうこと、それを覚えてすらいないかもしれないこと。悪夢ばかり見ている人生だけど、忘れてしまうと思うと寂しくなる。夢がなにかの証拠になるとでも思っているのかもしれない。

 

将来の夢を語るとき、私は語る相手をよく見る。将来の夢と言われると難しいですね〜、と答える時もあるし、本当はカメラで食べていきたいと本音を漏らす事もある。どっちが良くてどっちが悪いとかではなく、一緒に夢を膨らませてくれる人に話したいだけだ。

この間のお客さんに、カメラが趣味の人がいて長い時間話してしまった。その方も趣味でやっているそうだが、見せてもらった写真は私が思うプロレベルで、その後に私の写真を見せるのが恥ずかしくなってしまった。

そんな経験があったのに、二月に個撮を申し込んだ。もしかしたら新しい一歩になるかもしれない、夢に触れられるかもしれないと思ってドキドキすると同時に、夢が割れてしまったらどうしようという焦燥感と義務感に駆られて怖い。

 

夢は夢でしかない。触れられない、どこにも証明できない、空想上のお話。苦しい時、現実と夢を常にさまよっている。生きることと死ぬことは、眠っている時間に似ている。

私はいつまでも眠っていたい。それが許される世界にいたい。

1月14日

小学生の頃、まだ父と母が別居するまえに、家族みんなで住んでいた家を年内には売り払うと聞いた。小学校も取り壊しの案が出ていて、私の優しくて温かな思い出が全てなくなってしまうような気がした。私は今一体どこにいるのだろうと、定期的に分からなくなってしまう。

 

ずっと温かな関係に憧れがあった。安心とか、そういう類のもの。毛布にくるまっている時だけが、私が息をしていい時間なのだと思う時がある。それがきちんとした形で許されるから夜が好きなのかもしれない。でも時々耐えられなくなって、夜中に河川敷に散歩をしに行くことがある。それが人生で言うところの刺激なのだろうか。

真っ暗な中でひとりきりで星を見ていると、存外私なんてちっぽけで、私の中に納まっている悩みもちっぽけに感じる。だから捨て去るのも出来そうなはずなのに、星を掴むことが出来ないように不可能なのだから不思議だ。

 

まとまった文章が書けない。眠るのが怖い

1月1日

 

年が明けてしまった。だというのに、相変わらずずっとだるくて眠くて気持ち悪い。いきなりマイナスですみません。

年末年始は海の近い祖母の家にお邪魔になっていたが、海には殆ど行けなかった。暖かくて風もなくて、きっと足だけでも浸かったら気持ちよかったのだろうけど、出来なかった。でも、行きたかった無人島には行けた。水が澄んでいて嬉しかった。貝拾いもしてみた。何に使おうかと、考えるだけで少しのんびりできる

 

それから今日の朝、レンズを交換しようとしたらレンズが外れなくなってしまってかなりショックだった。回しても回してもビクともしない。カメラ屋に持っていくしかないのだろうと思うと、憂鬱だ。しばらくの間は月が撮れない。悲しい。

 

大学を辞めようかと、七割くらい思っている。後期が始まるまでの半年の休学で、症状が治る見込みが今の時点では全く無い。あまりに慢性化しすぎている気がする。それに、生きるつもりがさらさら無い事もある。去年の年内に死ぬのが目標だったが出来なかったので、今年こそはと思っている。それなら大学に通う必要は無い。3月までには答えを出し、両親に説明をしなければならない。できるだろうか、この頭で。

 

毎日が相変わらずどうしようもなく不安で、生きているのが申し訳なくて、自殺企図の衝動に襲われる日々がまた続く。夜、眠りにつけ時はいい夢が見られますように

12月27日

諦めて、と見捨てないで、が入り乱れている宇宙に住んでいる。真っ暗なダークホールの中には私以外誰もいないように見えて、時折ものすごく息が苦しくなり過呼吸を起こしてしまう。ここに酸素は無い。どこにいるのかも分からない。いつ落ちてしまうのかも分からない空中で浮き続けている。私は誰だ。誰も教えてくれない。

 

楽しみがなくなりどこにも行けなくなってしまった。ずっと微熱があり体調が悪く、起き上がることが出来ない。かろうじて夜ご飯をお腹に入れているがめんどくさいので胃瘻にして欲しいといったら、咎められた。

せめてなにか楽しみがあれば生き延びられるのだろうが、遊びに行くにも生き延びる予定を入れてしまう自分への嫌悪感が勝ってしまうし、何か美味しいものを食べてもゾワゾワして吐いてしまう。ゲームや小説や映画も、死にたい気持ちに押されて集中出来ない。世界の全てが驚異に感じる。ベッドの中でひっそりと息を整えて、隣にいる犬を撫でるだけで毎日をやりくりしている。

 

生きることを約束することは、何かの焼印を押されているような痛みがする。格付けされて社会に搬送される肉の中、私はいつしか弾かれてしまったのだろうか。

 

そろそろ貯金が無くなりそうだ。あまりに欠勤を重ねているから、これ以上出勤出来ないと在籍させられませんとお店から連絡が来て、本当に申し訳無くなってしまった。お客さんのことは皆大好きだが、甘えたことを言うとどうしても働けない。シフトを出さなければいけない。もう嫌だ。救われたい。誰も私のことを見ないで欲しい。漂うだけの幽霊になりたい。

12月18日

近頃、人の心が私から離れているのをひしひしと感じる。心が死んでいてもそういうアンテナは機敏で素晴らしいなと思う。勿論、皮肉で。

 

安心できる関係というものは時折言葉を交わさなくても救いになることがある。あの人がまだ諦めてくれていないからもう少し生きてみようかとか、遊ぶ約束があるから頑張ろうとか、そういった小さな救い。それが、今の私からじわじわと剥がされて無くなっている。そう考えると全身が痛くて動けない。被害妄想ならまだいいが、この歳にもなれば大抵の不安は当たる。というより雰囲気で分かる。長年付き添ってきた仲なら、尚更。

 

元気になりたいことも嘘じゃない。そうすれば人の助けになれるからだ。でも、私がまず助けたいのは私の大好きな人たちのことであり、そのひとたちに嫌われ始めている今、治ったところでと思ってしまう。考えが全て死に帰結してしまう今考えるべきでは無いのかもしれないが、希望がないと自分と向き合うには苦しすぎる。どうしたらいいのか分からずに、ずっと迷子で泣いている。日々が終わらない気がして怖い。

 

昔の私はどうやって振舞っていただろう。人にどう見えていただろう。考えても答えは出ず、ただひとりきりで夜が明けるのを待っている。空があけても、誰にも会えないと言うのに。

 

12月15日

なぜだか分からないけれど、最近、頑なに母としか寝なかった犬が私と一緒に寝てくれるようになった。不安でどうしようも無い夜はぬいぐるみを抱えて泣いていたが、犬の温かみがあると泣かなくて済む。生き物というのは本当にすごい。あと、かわいい。

 

今週一週間は毎日朝から晩まで泣いている日が多く、人生で二、三番目につらい時期だった。涙の総量が決まっているのだとしたら、私はおそらく人より大きな海を抱えていることになるのだろう。そうなると人生で使い切れるか、怪しくなってくる。泣けなくなるのも問題だが、こうも涙が止まらないと困ってしまう。とにかく今は荒波がおさまるのを待っている。

 

あんまり文字を書き出すのも辛いけど、日記に書き記して置きたいので書いてみたけどどうもイマイチに感じる。書きたいことはあるので、もう少し方法を模索したい。

12月15日

目に見えて調子が悪い。それを感じて、冬だ、と思う。

夏が苦手だけど動かない訳にも行かず、無理した結果、冬に反動が来るというのが毎年鉄板である。そろそろその悪循環を辞めたいが、中々に難しい。

 

復学に喜び勇んでいたが、今週は一日だけ、しかも一コマしか出れなかった。入院時の欠席申請や、その間の課題、レジュメの件など色々メールとLINEを送らなければならなかったのだけど、大した内容でもないのにたった一文送信するのに三十分もかかってしまって諦めた。それどころか友達のLINEすら上手く返信できない。大学に行ってないので時間はありあまっているが、日記が滞っていたのもそれが理由である。

 

去年の冬もこの頃に体が動かなくなり脳内に言葉が出てこず、また人に何を言われても上手く理解できなかったのを思い出す。今も似たような状態で、さらに急激な不安感がある。

私はまた休学しなければならないのだろうか?それは甘えでは無いのだろうか?もし休学したとして、はたして卒業出来るだろうか?

不安なことばかり積み重なって焦っては、自殺企図の波に呑まれそうになりながら毎日泣いている。

海がどこまでも続いていて、私が今どこにいるのか分からない。私は一体何をしているのだろう。このままならいっそ、海に身を投げて溺れて死んでしまいたいと思うことはいけないことだろうか。疲れた。なんだかやっぱり文章がおかしい気がする。とにかく明日は少し長めに睡眠時間を取ろうと思う。夢が私を受け入れてくれれば、の話だけど。